~今年も一年お世話になりました~

2011/12/31

今になってやっと3.11を振り返る時間と心の余裕ができました。
3月11日は僕は休日で10時頃に自宅を出て、荒浜の鳥の海温泉へ日帰り入浴へ行き岩盤浴でスッキリし、お昼に昼食を取りながら仕事の打ち合わせを「うしのや」さんという定食やで故郷の名物ホッキ飯を食べながらしておりました。(今は跡形もなくなりました)
ちょうどお店を後にしたのが13時30分前後でした。
その後は仙台に買物に行こうか悩みながら一度自宅へ戻り、まったりしていると今までに体感した事のない大地震がやってきました。
たまたま祖父母も宅にお茶飲みに来ていて、心配だから自宅へ戻ると言って帰りその後に僕は仙台の祖母と連絡がつかなったので仙台に高速を使い向かおうとすると高速は通行止めとなっており、しかたなく下で祖母宅へ向かいました。
家を出たのが15時を回った所でしたが、岩沼を過ぎたあたりから渋滞が始まり、館腰駅の前から全く前に進まなくなり車の中でテレビを食い入るように見ながら連絡の取れない家族を思い不安な気持ちでいっぱいでしたが、21時過ぎに弟と連絡が取れ車のガソリンが無いので祖母を頼むといい亘理へ引き返しました。
弟も名取から渋滞で動かなかったようで、その後ガソリンがなくなり車を捨て徒歩で仙台の祖母宅へ向かい祖母の無事を確認し連絡が入りました。
僕は自宅に戻ると家族に車の中で見た映像の事を伝えると津波が来ていた事をまだ知りませんでした。
両親は幼少期に大震災を経験しており、3日間辛抱すれば大丈夫だと言い、その夜は仏壇から蝋燭を寝室に持って行き不安な夜を過ごしました。
翌日になると仙台の荒浜に数百体の遺体が打ち上げられているという事をラジオで聞きとんでもない事がおきているという事を知りました。
時間がたつにつれ被害状況が伝わってきて正直もう、
考える力がなくなり終わった!

思いました。
弊社の取引先の8割は県内でしたので、終わったと思いました。
しかし、それも数日で仲間の訃報を聞くたびに自分たちは工場も店もなんともない
志半ばで去っていった仲間の故郷を思う想いを引き継ぎ、自分にはやる事があると思い
まずは被災地から出て外で稼ぐしかないと思い、
4月に入ってすぐに唯一の移動手段だった高速バスで東京へ向い催事に向かった事がひと月前の様に感じます。
それからというも時間が過ぎるのは早く休日返上でひたす働き続けました。
月の半分は関東にいたんではないかと思います。
東京に出て不安な日々を過ごす中で僕の背中を暖かく押してくださったのはお客様、
はじめ仲間たちでした!
震災後はたくさんのお客様、仲間からご支援いただいた事により今のみやぎのあられがあります。
数か月の間で多くのお客様と出会い、笑い、喜び、時には共に泣き悲しみ、そして支えられてきました。
心から感謝しております。
感謝で始まり感謝で一年を終える事が出来たみやぎのあられは幸せ者です。
震災後に出会った皆様は僕の大切な思い出となりました。
生涯忘れることなく、一生の宝物です。
来年もたくさんの人と出会えるよう頑張ります。
それでは皆さま良い新年をお迎えくださいませ。
ありがとうございました。
みやぎのあられ株式会社

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